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整形外科前原病院 会長・理事長のあいさつ

会長あいさつ

 医師になって約50年、開業医として39年になります。老害という言葉もありますし、又、悠々自適という生活にも魅力がありますので、今年3月で理事長を辞することとしました。
医療法人東陽会 整形外科前原病院を開設してから、今年の3月15日で39年経ったということです。それまでは前原外科・整形外科という19床の有床診療所でした。
創始者は亡き父、前原東作です。昭和31年1月に開院したと思います。(昭和32年は、小林高校が駅伝で全国優勝した年と思います。)
父は九大医学部を卒業し、満州国の医官となり、満州医大(現中国藩陽)、九州大学第2外科教室、八幡製鉄病院を経て、三菱系の炭鉱病院の外科医、院長を勤め、当地、小林市に開業しました。開業地は福岡市、鹿児島市、小林市を検討したようですが、祖父(故前原最蔵)が小林中(現在の小林高校)の教員をして勤務したことがあったこと、又、戦時中にえびの市京町に疎開したことから小林市を選択したと聞いております。
昭和31年開業時は田んぼの真ん中の一軒家でした。その後、両隣に津口木材(現二葉薬局の所)と倉福林業(現プラッセの所)、道路を隔てて緒方木材(現モナコパレスの所)がありました。その頃は、国民保険がなかった時代で、盆、暮れに集金に行っていたようです。当時は須木のダム建設の時期で事故や怪我人が多く、忙しかったと記憶しています。又、母はレントゲン撮影、医療事務を担当し、開業当時は大変だったと思います。
あれから64年が過ぎました。創業時に苦労した両親、そしてその頃、働いて頂いた職員の方々に本当に感謝しています。
そして、昭和56年に法人として、また病院として再出発しました。その後、22年前に地域の介護を必要とする高齢者の自立を支援し、家庭復帰を目指すため、介護老人保健施設を開設しました。この39年間、大過なく病院経営をできましたこと、皆様方に感謝したいと思います。
今、日本は世界に例のないスピードで高齢化し、総人口に占める高齢者の割合が高いまま、総人口が減少していくと予測されています。この人口減少社会を乗り越えるためにも、健康で長生きできる健康長寿社会が望まれます。
我々は、整形外科という高度の専門性を活かしてこれからの医療、介護に貢献できればと考えています。これからもよろしくお願い致します。今、前原病院は第2世代から第3世代の新理事長、竹之内剛にバトンを渡します。これからも新理事長へのご協力をお願い致します。
人生100年時代、「医者とみそは古い程良い」といいますので、医師として生涯現役で、頑張りたいと思います。最後にこの前原病院が第4世代まで100年続くことを祈りたいと思います。

理事長あいさつ

 4月より理事長に就任いたしました竹之内剛です。2000年に鹿児島大学医学部を卒業し、鹿児島大学整形外科(現:運動機能修復学講座整形外科)に入局後、脊椎班として脊椎医療に携わりました。北薩、薩摩川内の脊椎医療立ち上げを大学での最後の仕事として、2015年4月より当院副院長として赴任し、現在に至ります。
当院は、昭和56年に先代が、医療法人東陽会として有床診療所より病院へ再出発し、地域特有な長年の労働による運動器疾患の治療、リハビリに力を入れてこられました。その医療は、高度な整形外科専門性を活かし、常に地域住民の医療ニーズに対して、最新の医療を提供すべく、医療機器においても、手術用顕微鏡、MRI,CT、電子カルテなどを導入し、2010年からは日本医療機能評価機構認定病院として、地域特性に合わせたより良い医療、介護に努めてまいりました。自分の専門である脊椎医療の分野にも、高齢者の歩行障害や椎体骨折に、インプラントを併用した矯正手術での対応もありますが、より少ない生態侵襲で行う内視鏡下脊椎手術、経皮的椎体形成術など宮崎県下でもあまり広く行われていない医療を当院に赴任後、提供しています。
今後も、さらに医療レベルを発展させ、当院職員とともに、家族や知人に自信を持って勧められる病院を目指し、超高齢化社会の健康長寿延伸の実現に貢献したいと考えています。